人はどんな時に新たな言語を覚えたいと思うのか。それは話したい人ができた時、知りたいことが増えた時、誰かに必要とされた時。
今日はまさに痛感してしまった日だった。
カットで来た年配の女性は英語があまり得意ではなかった為、ドイツ語での接客となった。
オーナーがカウンセリングはトランスレーションして助けてくれたが、そこだけだ。
要望は分かっているんだけれども、気の利いたことや、何げない会話ができない歯がゆさは外国人と接したことのある人なら誰しも分かるだろう。
何はともあれ、自分もドイツ語の話し言葉はまだ赤ちゃんレベルなわけで、不便をかけた。
だけど、ヘアスタイルを気に入ってくれたのもあって「また次回お願いね」と名刺を持ってかえられた。
これはあらためて、頑張って勉強しないとなと思うわけで。
人はほんとに必要と感じた時に行動する人が多いと思う。事前に推測してやるのはもちろんすばらしいが。
言語はただのツールだが、可能性は無限に広がるだろう。
なにせ日本語を使うのは世界で3%だけなのだから。
日本語しか使わなければ知ることのできないことが多すぎる。
知るというのは大事なことで、知らなければ選択することさえできない。
自分もここ数年は海外にいるが、海外に出たいと思ったのは20代前半からだった。
自分が10代の頃はSNSもまだあまりなく、情報を得るのが今より難しかった。
ただ確実なのは、10代の頃から選択肢をたくさん持てていれば自分の道は早く開けるだろう。
知らないというのはそれほどこわいことだ。
実際に自分の可能性の幅はまだ分からないが確実に広がっている。
今では普段話している人の9割以上が外国人だ。いろんな人と会話して笑いあったりしているが、前までは考えられなかったことだ。
知れたことを幸運に思いつつ、まだ知らないことはたくさんあるだろう。
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